先日来何度も書き始めてはいるのだけれど、書ききる前にブラウザが閉じてしまう。
理由は操作ミスだったり長時間放置だったり、停電だったり。
タイトルの通りなので、当然楽しい話ではないが、自分の中で区切りをつける意味で、思い出しつつ書いてしまおうと思う。
引っ越し準備も佳境に入った8月の末、放鳥タイムの真っ最中。
えび(ラックの婿・クリーム)と一緒になってカーテンボックスの上に置かれた2つの箱巣の間の隙間の権利を、まさにその隙間にいる杏仁(シルバーイノ♀)に主張していた、らくらくさんことラック(シルバー・3歳♀)。
そこから夫婦で同時に飛び立ったえび・らくだが、らくはそのまま落ちてきた。
旧居と新居をまたぐ闘病1週間で、らくは息を引き取った。享年3歳。
引っ越しの当日だけは動物病院に入院していてもらったが(作業中は確実に何もできないので)、あとはずっと手元で看病した。
その判断が正しかったのかどうかはわからないが、停電の夜、スマホの懐中電灯アプリに照らし出された夫を枡箱から眺める姿は、どこか満足げに見えた。
酸欠で辛かったはずなのに…
旧居にて。好物だったはずの豆苗も食べられなかった。
(この数日後、粟穂を食べる姿が見られるが未消化であった)
最期の瞬間は、ルビィの挿し餌(まだ食べてた!)のために枡箱に戻した数分の間に訪れていた。
それだったらもうちょっと握ってたらよかった…とも思ったが。
あんなに苦しそうにしてたのに、死に顔は嘘のように安らかだった。
不思議なものだなと思う。
ああ、でも、らくらくさんだもんな と、謎の納得もあったりする。
うちの子の可愛いとこを全部詰め込んだらくらくさんの魂よ安かれ。
もっと書きたいことはあるが、また消えてしまうのも嫌なので、らくらく娘の思い出はまた、機会があれば。
皮肉にもらくらくの看護がなくなった分、開梱作業も幾分捗り、ルビィも挿し餌を自ら卒業するに至り(長かったよ…)、少しずつ平穏を取り戻している昨今。
あ、新居では鳥部屋が出来ました。
私の部屋はないけど!
というか事実上鳥部屋に居候だけど!w
今回の経験により、スポーツ用の酸素ボンベが我が家に常備されることになった。
(というか、らくのために買い込んだ残りなんだけど)